ある一家庭の日常風景となったうんこに関する思案
先日の連休、実家に滞在しました。
わたくしは実家から離れて暮らしており、ゆっくり実家で過ごすのもまぁまぁ久しぶりです。
父が出かけて、私が居間でみかんを食べていると、
母が「ねぇ、聞いてよ!」と、最近あった父親とのやりとりを報告してきました。
内容は以下の通り。
母が、祖母の目覚まし電波時計の電池を替えてやった。
↓
母、「時刻合わせ」のボタンを押すも、何故かうまくできない。
↓
母、およおよ困りつつ試行錯誤。
↓
その場にいた父「電波の入りやすいところでやればいいだろ!」
超怒鳴る
↓
母、普通のマンションならどこでも電波が入ると考える。
母「どこなら電波が入りやすいの?」
↓
父「窓際に決まってるだろ!」
超怒鳴る
↓
母「そうやって人を怒鳴るのが気持ちいいの?」
↓
父「余計なことを言うのが悪いんだろ!」
超怒鳴る
私はこの話を聞き、怒りと悲しみが入り混じった、陰鬱とした気持ちになりました。
理由は以下の通りです。
1.父親がうんこである
以下のようなうんこポイントがあると考えます。
(1)怒鳴るという行為
ここでの「怒鳴る」という行為には、果たしてメリットがあるのでしょうか。
まず、「怒鳴る」ことのメリット・デメリットを、私なりに考えてみました。
〈メリット〉
- すごみのある大声で、伝達事項が相手に伝わりやすい。
- 相手にプレッシャーや威圧感を与えることができる。
- 自分の方が力があることを知らしめ、恐れにより相手を制御できるかもしれない。
- 大声を出すことでストレスが発散できるかもしれない。
〈デメリット〉
- 相手と周囲の人間に大変著しい不快感、恐怖を与える。度合いによってはトラウマになることも。
- 突然の大声で、相手をパニックに陥らせ、判断能力を損なわせる恐れがある。
- むやみに怒鳴ると、品性が無いと思われる。
さて、今回のケースは、これらのデメリットを取ってでもメリットを優先させるようなものであったでしょうか。
まず、今回事象発生場所は静かな屋内であり、母は一般の日本人として十分な聴力と日本語能力を有しているため、大声を張り上げる必要はまるでありません。
また、母は父に助けを求めるなどの行為は取っておりませんし、この案件に父を巻き込む気は一切ありません。
さらに父が不快に感じる程度の騒音、例えるならば深夜のクラブのような(行ったことないけど)大騒ぎをしたわけでもないため、間接的に巻き込まれる要因も薄く、威圧的に接する必要も全く無いと考えます。
以上より、父が怒鳴るという行為をチョイスした理由として考えられる事項としては、
- 常人には考え付かないポイントでイライラし、その気持ちを発散したかった
- 情報伝達の手段として「怒鳴る」しか知らない
- 不快感で場を染め上げることに快感を感じる
のいずれかになり、どれにせよ、50年以上生きている一社会人としては非常に幼稚、あるいは異常、うんこです。
更に、その場には祖母も同席しており、このような至極くだらない理由で母だけでなく祖母にまで不快感を与えたことは、うんことしか言いようがありません。
(2)「どこなら電波が入りやすいのか」と聞くことを「余計なことであり、怒鳴るべき事項」と評価した点
母は私立大学文学部卒業の専業主婦で、理系の知識、ことに電波に関する知識は携帯電話に関わる程度しか保有していません。
そんな母が「電波→スマートフォンで送受信してるやつ→スマートフォンは家のどこでも使える→特に電波がよく入ると感じる場所は思い当たらない」と考え、「どこなら電波が入りやすいの?」と聞くのは、無理もありません。
なお、父と母はお見合い結婚であり、その際に釣書も交換しているため、父も母の学力および電波に対する知識については承知しているはずです。
母は問題を解決したい。その助けになりそうな情報を得たものの、その内容は母にとっては不十分。
父が自らその情報提供を行ったことは、父が母をサポートしたいという意思表示と取られても何ら不自然ではなく、情報補足を求めることは何一つ「余計」ではありません。
よって、「余計なこと」という判断は誤り、さらにその対応として「怒鳴る」をチョイスしたことは(1)同様うんこです。Wうんこです。
(3)「電波が入りやすいところ=窓際に決まっている」という判断
上記の一般社団法人日本時計協会の「電波の入りにくい場所」情報から、「電波の入りやすい場所=電波の入りにくい場所じゃないところ」とするのであれば、「窓際」も確かに該当しますが、1つには絞れません。
「窓際に決まっている」には語弊があり、「窓際がその一つである可能性がある」が適切です。
このような正確性に欠ける情報を、「怒鳴る」という手段で伝えたことは、(1)の理由からうんこに他なりません。三回転半、トリプルうんこです。
以上のように、穏やかな休日が意味不明なおっさんにうんこ臭くさせられたことを思うと、怒りがふつふつと沸いてきます。
読者の皆様にも、急に意味不明なことで怒鳴られる状況を、生き生きと想像していただきたいものです。
ちなみに、私は幼少時から長らく意味もなく「うんこ」という言葉を父から投げかけられ続けてきた(例:「〇〇(←私の名前)ー!うんこ!!」など)ので、ここで父をうんこと評することはうんこ両成敗として、ご容赦いただきたいです。
2.この手のうんこ話を帰省するたびに母から聞かされる
私が反抗期に入り、父親のうんこっぷりを自覚するようになった頃から、恒常的にこの手の話を聞かされています。
実に20年以上。時にはLINEに乗ってやってくることもあります。
私がこの手の話を聞いた時に持つ感情は、以下の通りです。
- お母さんかわいそうだな、大変だな。親父はうんこだな。(わかるわかるよ君のきもち)
- たまの帰省の度に、不愉快にしないでくれない?(イラ)
- こんなんばっかなんだから、いい加減別居した方がいいんじゃない?(疑問)
この手のうんこ的な仕打ちを、私も実家時代に受け続けてきたため、昔は1の気持ちが強かったです。しかし、今は2・3の方が圧倒的に勝ります。
「たまの帰省の度に、不愉快にしないでくれない?(イラ)」
話題の記事がピンポイントでした。わたくし、まさにタイトル通りの気持ちです。
私は自己肯定感が低いが故の苦しい気持ちを持ちながら20代前半を過ごしてきており(病気にまではなっていませんが)、父親のうんこ的な仕打ち、およびそれに対する家族の対応がその一因となっていることを自覚しています。
私の自己肯定感の低さを、母はまるで気づいていないのか、気づきながらも自分の「共感してほしい!」の気持ちを優先させているのか分かりませんが、娘が成人した今もなお「うんこ親父」という自己肯定感を下げる呪文を唱え続けています。呪文というか、もはや呪怨。
自己肯定感の低さを乗り越えた私は、「プライベートでの不愉快な思いは全力回避」をコンセプトに掲げて生きることにしています。なので、呪怨は、もうおやめていただきたいです。
(2)こんなんばっかなんだから、いい加減別居した方がいいんじゃない?(疑問)
家族と過ごす時間は、人生の大きな割合を占めています。主婦なら尚更です。
その時間が不快であるならば、何か手を打つべきではないでしょうか。
もちろん、母も私も、父親を更生させるべく、直接的なアプローチを種々試みました。
ブチ切れる、暴れる、泣く、「お前はうんこだ」ということをあらゆる種類の感情を添えて口頭orメールで伝える、部屋に閉じこもる、家出する等々、考えうる手段はだいたい打ちましたが、20年経っても状況は変わりません。
(いいところをほめるというアプローチも、うんこを助長させるだけでした。)
もちろん私への呪怨も、なんら解決策にはなりません。
堆肥にもならないうんこであれば、水に流した方がいいのではないか、物理的な距離をとるようにすべきではないか、と思うわけです。
そのアクションを起こせないのか、起こすべきだということにすら気づけないのか、いずれにせよ、悲しいお話ですし、いつまでも同じことを繰り返しているという点には苛立ちも感じてしまいます。
実家は、もちろんいいところもあります。
母は、重大な問題を放置し続けて延々と文句だけ言うところ以外はいい母親ですし、祖母も優しいです。泊まればごはんもお風呂もお布団も用意してもらえます。
あとねこがかわいい。たくさんよしよしします。にゃー
ただ、私は、重大な問題を放置し続けて延々と文句だけ言う人生にはもう耐えられなくなりました。もちろん父のうんこ事案の被害者になるのももうこりごりです。
なので、もう実家には行ってもMAX2泊ぐらいです。
そういう解決方法もアリだと思います。他人を変えるのって、とってもむずかしいもの。
これを読んでる人が人の親なら、子供への夫婦仲の悪さアピールはやめてほしいし、なんらか根本的解決を図っていただきたい。
また、そういう親を持った人なら、やめさせるのが難しければもう離れましょう、というお話でした。
それにしても、このように文章化して客観してみると、やはり父は精神に異常があるようにしか思えませんね!
どうなんですかね~、私にも精神に重大な欠陥があって正しい判断ができてない可能性もあるのでしょうが、普通うんこうんこって意味もなく娘に言い続けますかね??
「そういう病気だから仕方ない」ということであれば、前半のうんこ批判については私が糾弾されても多少は仕方ないなー、という気持ちはなきにしもあらずです。
ただ、本人は病気とは思っていない限り、誰かが病院やカウンセリングに引っ張っていくわけにはいかないので、この手の病気は犯罪に繋がらない限り更生されることはまずないんですよね。困ったものです。