小説家ハヨネコ
〜ネコちゃんをナデナデする仕事〜
「貴方が、"ハヨ美@仕事やめたい"さん?」
ある日、突然Twitterに届いたDM。
そこで指定された裏通りのポストの前で、その差出人と思しき人物は待っていた。
声は女だった。梅雨時だというのに、季節外れの萌え袖スウェット姿。最近の風潮に倣ってマスクをしている上に、大きなフードを目深に被っている。顔はよく見えない。
首から扇風機のようなものを下げている。いや、スピーカーにも見える。なんだろう。B系ってやつ?
そして片手には大きなキャリーバッグを提げていた。
ゴロゴロではない。犬や猫といった小型の動物をキャリーする方のようだ。
ようだ、というのは、布をかぶせてあって、中身がよく見えないから。中から物音も特にしない。
しかしDMのやり取りから、中身は察した。本当に来るなんて。ノコノコやってきた私もどうかしているが、さすがに胡散臭さがすごい。
とりあえず、投げかけられた質問にYesと答える。
「来てくれてありがとうございます。とりあえず、落ち着けるところへ行きましょう。
カラオケボックスでいいですか? 2人、いえ、"3人"ですかね。密にはならないと思います。」
私たちは近くのカラオケ屋へ向かった。
店員は女の荷物を訝しそうに見ていたが、特に何も言わず、広めの部屋に私たちを通してくれた。
ワンドリンク制なので、まずはドリンクを待つ。
歌いますか?、と言われたが、よく知らぬ人の前で歌う趣味はない。
いえ、結構です、と断って、一応確かめた。
「ええと…本当に、"ねこねこ宇宙人☆ミ"さん?なんですよね。なんてお呼びすればいいですか。」
「そうですね、ねこねこらしく、ミーでどうでしょうか。」
「はあ…。じゃあ、ミーさんと呼ばせていただきます。私は早川です。」
「ハヤカワさんですか。わかりました。よろしくお願いします、ハヤカワさん。」
普通、本名名乗るもんじゃないのか。ますます胡散臭い。善良な社会人らしく名乗った自分がアホみたいである。
そんなやり取りをしていたら、部屋の扉が空いて、頼んでいたウーロン茶2杯がやって来た。
ごゆっくりどーぞ、と店員は言い残して去って行った。
ごゆっくり、か。本当にごゆっくりするのか、私は。私たちは。
不安に駆られてここから私は流れるように喋りだしてしまった。
「ていうか、さっきから気になってるんですけど。」
「はい。」
「本当に連れて来たんですか?その、ね、ネコちゃんを。」
「ええ、もちろんです。」
こともなさげにミーと言う女は言った。キャリーバッグからは相変わらず何の音もしない。
「もしかして一刻も早く触りたくてソワソワしてたんですか?ウフフ、よほどお好きなんですねぇ。でもその前に、これは"仕事"ですから、契約の確認をさせてください。」
うわ、ここで真面目になるんかい。
"ハヨ美@仕事やめたい"のTwitterは、日常のとりとめもないことを呟いたりおもしろツイートや可愛い動物の画像をRTするどこにでもあるアカウントだった。
そして中の人に仕事や人間関係でストレスが降りかかったが最後、「仕事やめてぇ〜」「ハァ〜仕事やめてネコちゃんをナデナデしてぇ〜」とつぶやきまくるのもツイッタラーに割とありがちである。
だが、その変化球として編み出したツイートが独特と言えばそうかもしれない。それが「ネコちゃんをナデナデする仕事がしたい」だった。
誰か斡旋しろよ!と半ば本気で呟きまくっていた。まさかそんなことの継続が実を結ぶ日がくるなんて、露ほどにも思っていなかった。
ある日、もはや飾りと化しているDMのアイコンに、通知を示す①が灯ったのだ。
届いた一通のDMにはこう書かれていた。
「ネコちゃんをナデナデする仕事、ぜひお願いしたいのです。詳細ご相談させてください。」
「契約って…。そんなマジなトーンで話すんであれば、まず顔をちゃんと見せてください!」
名前も真面目に名乗らないで、わざわざやって来て変な仕事を頼んでくる、ミーというこの女。フードは相変わらずかぶりっぱなしだった。
ネコちゃんどころではない。オフ会なんて行ったこともないし、知らない人と二人っきりになるのも苦手だし、おふざけが現実を侵食してくる不安でたまらなくなって、思わず声を荒げてしまった。
「ああ、失礼しました。でも、ちょっとびっくりするかもしれませんよ?大丈夫ですか?」
え、何?まだ不安攻撃してくるの?マジで何なん?
ていうか何でここまで来たよ私。疲れてたんだ。ネコちゃんと金に釣られたのマジ後悔。えーい!もうどうにでも!
「顔がゾンビとか、爆発するとかじゃなきゃ大丈夫です!」
「フフフ、ハヤカワさん面白いですね。Twitterのまんまですよ。そういうのじゃないから安心してください。じゃあ、フード取りますね。」
取った。フードを。
やはりミーさんは女の人のようだった。サラサラの茶髪のボブカットで、つぶらな目をしていた。
それだけであればどこにでもいそうな女性だが、明らかに常人のそれとは違うものが頭の横から生えていた。
「ネコミミ。」
「はい。」
ネコミミだ。
だがコスプレ等で見かけるそれとは明らかに異なる質感。
リアル。リアルなのだ。ぺらっぺらの紙のような、血管が透けて見える、あのネコちゃんの耳だった。
「よくできてますね…」
「ええ。本物ですから。」
「はぁ。はぁ?」
ミーさんはまたもこともなさげに言った。
「本物なんです。宇宙人ですから。」
私は返す言葉を失った。
「よく考えたら、これを見せる前に、契約の話をしなければいけなかったです。契約事項その1です。今日見たことは誰にも口外しないでください。」
本当に、本物だとしたら、めっちゃ口外したい。私は返事をしなかった。
「ハヤカワさん。」
「口外したいです。」
「素直ですね。まぁいいですよ、最後まで話を聞いてから考えてください。我々は地球より遥かに高い技術を持っていて、その気になれば貴女の記憶を消すことができますから。」
そんなのますます口外したいやん。私は引き続き返事をしなかった。
「貴女にお願いしたいのは、私の同胞をナデナデすること、つまりスキンシップで癒してほしいんです。
今わたしの姿は地球人寄りにしていますが、私たちの種族は細胞を変化させることで、地球で言うところのネコちゃんに酷似した姿になることができるんです。」
「えええええ!そんななんとかオーシャンみたいなことあるの?!」
「なんとかおーしゃんはよく分かりませんが、あるんです。」
私は夢を見てるんだろうか。
ミーさんは淡々と続けた。
「想像いただければお分かりかと思いますが、ネコちゃんの姿は、文明生活にはふさわしくありません。物も持てないですし、言語機能も著しく低下しますから。それでもネコちゃんの姿を取ってしまう時があります。」
こっちがその立場だったら、常にネコちゃんでいたいが。
「それは、著しく疲れている時です。」
どうやらこの人たちは、自分が疲れている時にやりたいことを実践する人種のようだ。
「今日のクライアント、つまり、ハヤカワさんにナデナデして欲しいネコちゃんは、過労と人間関係の疲れから、軽い鬱状態になってしまったんです。休日は引きこもりがちで、何かと落ち込んだり、突然攻撃的になったり。仕事を休んだり、気分転換を試みたりしても、モヤモヤが晴れないそうなんです。」
「それでスキンシップを通じたセラピーを…ってことですか。でもそんなの宇宙に出てまですることなんですか?」
クライアントの境遇が自分に似過ぎていて、もはや自然と親身になっていた。そうでなくとも、ミーさんの言うことを事実として受け取るのであれば、普通に不思議だった。
しかし、聞いといてなんだが、ミーさんの手元をチラリと見た時、合点がいった。もはや隠すことなく萌え袖から覗かれるミーさんの手は、我々地球の人間のそれとは違い、指は少し短く、猫のものと思われる毛に覆われていた。
本当に、なんとかオーシャンかよ。
「ええ。地球人の皆さんの手は、我々と違ってツルツルの皮膚が剥き出しですよね。我々の手で撫でられるのとは感覚がまるで違うんです。何より、体温が直接伝わって、心まで通じ合ったような気持ちになれるんです。
何より、ハヤカワさんはTwitterでよくつぶやいらっしゃるくらいですから、よほどネコちゃんがお好きなんでしょう?そうであれば、心から愛おしんでナデナデしてくださると思って。
我々が同胞同士でそういう行為をするとしても、普段の姿は知っていますし、どうしても"仕事でやってる"感が出てしまいますから。恋人同士とかであればともかく。あ、クライアントは独身です。」
ミーさんは最後のところだけ小声になった。なんかエロい仕事みたいになってきたな…。
まぁそういう事情であれば断る理由もなかろう。ネコちゃんをナデナデすることには違いないようだし。
「やります。」
「あら、いいんですか。今までお話ししたことは口外しない、でいいんですか?」
「口外するとどうなりますか?」
「実力行使で報酬をお返しいただきます。そして記憶も消します。」
こんな面白体験するだけでも十分な報酬のような気はしているが、一応聞いておこう。
「報酬はいくらですか?」
「20分で5万円です。」
「口外しません。」
即答した。
「では、早速お願いしますね。」
ミーさんは遂にキャリーバックの布を取った。思った通り、格子のついた扉が出てきた。
どうしよう。ここまでしっかり話を聞いてたものの、「地球で言うところのネコちゃんに酷似した姿」というのが、そっくりって言っといて大して似てないみたいなやつで、超おぞましい生き物だったらどうしよう。
急に不安になってきた。ミーさんはキャリーバッグの扉を開けた。息を飲む。
「さぁ、出てきてください。」
ゴクリ。
扉の奥から、やっとカサカサという音がした。
そして顔を覗かせたのは、
黒い、ハチワレの、
部屋が薄暗いせいで黒目が大きな、金の目をした、
前足が白い靴下の、
ネコちゃんだった。
「かわいい。」
ネコちゃんはキャリーバッグから出てきはしたものの、そのまま動かない。
不安げな顔をしている。
「抱っこしてあげてください。」
ミーさんはクライアントネコちゃんではなく自分を促した。
不安だよね。ただでさえ疲れているのに、知らない星(ところ)に連れてこられて。
怖かったよね。ずっと暗いキャリーバッグの中で待たされて。
こんなにかわいいネコちゃんを、辛い目に遭わせるなんて、かわいそうに。
そして、かわいい。
ネコちゃんを抱き上げた。
ネコちゃんはなんの抵抗もしなかったが、身体が少しこわばっている。
不安そうな目をしている。かわいそう。しかしそれもまたかわいい。
ネコちゃんを膝の上に座らせた。少し爪が立っている。ストッキングがダメになりそうだが許そう。かわいいから。
よーしよーし。
背中から頭にかけてよーしよーし。
ネコちゃんは目をつむった。KAWAII。
ハチワレはかわいい。アゴもよーしよーし。
ネコちゃんの表情と体は少しずつほぐれて気持ち良さそうになってきた。CHO-KAWAII。
よーしよーし。かわいい。
かわいい。よーしよーし。かーわーいーいー。
いーこいーこ。かーーわーーいーーいーー。
毛並がきれい。かーーーわーーーいーーーいーーー。
毛並みにうっとりして少し手が止まってしまった。
ネコちゃんはミャウと小さく鳴いた。
カカカカかわわわわわカワカワわわかわいいいいいいいい
よーしよーしかわいいを繰り返すこと数分。
ネコちゃんは、
ねた。
かわいさが天元突破した。
「20分経ちました。ありがとうございます。」
夢のような時間はあっという間だった。
ネコちゃんは目を開けたが、きっとその瞳にはデレデレデロデロになった自分の顔が映っていたに違いない。それでもネコちゃんは少し名残惜しそうだった。
「じゃあクライアントさん、戻ってください。」
「いや、ネコちゃんが嫌じゃなければもうちょっと…」
「駄目です。契約なので。」
ミーさんは真面目な人だった。
ネコちゃんは大人しくキャリーバッグに帰って行った。
キャリーバッグに戻る直前、ネコちゃんは少し振り向き、ミャウと鳴いてくれた。向こうのサービス精神も大概であった。感謝。
扉を閉められ、布を被せられると、キャリーバッグはネコちゃんが入っているとは思えない静かな箱に戻った。
「では、報酬の5万円です。」
ミーさんはパーカのポケットから諭吉戦隊マンサツジャーを取り出した。
「え、本当にくれるんですか?!」
「いらないならお渡ししませんが。」
「いや、ください。」
受け取った万札は透かしもきちんと入っており、ちゃんとした日本銀行券のようだった。
本当に仕事でネコちゃんをナデナデしてしまった。
自分も会社員の端くれである。いざ現金を手にすると、先ほどのナデナデがクライアントさんの満足行くものだったかが気になってきてしまった。
「あの、クライアントさんの感想とかって聞けました?」
「そうですね、戻る前に『ありがとう』と噛みしめるように言っていたので、大変満足したようですよ。」
「それは、よかったです。こちらこそありがとうございました。」
「フフ、ハヤカワさんにお願いしてよかったです。」
そう言って微笑んでくれるミーさんの顔を見て、少し安心した。
カラオケの会計を済ませ、キャリーバッグを追及されないようにいそいそと店から離れてから、私たちは別れの挨拶をした。
「今日はありがとうございました。仕事が忙しくてネコちゃんを飼う余裕なんて全くないし、かと言って近場の猫カフェの猫も触らせてくれるような子はいなくて…。
そんでネコちゃんを触れるだけじゃなくて、なんか宇宙人?とかなんかありましたけど、もう、とにかく、かわいかったですネコちゃん。5万円は貯金します。」
「そんな、お礼を言うのはこっちの方ですよ。またDM送らせてもらってもいいですか?」
「ええ、是非お願いします!いつでもください!」
出会った時のフード姿に戻ったミーさんは、一礼をすると、待ち合わせ場所だった裏通りの方へ消えて行った。
口外したら、また会えるのだろうか、あのハチワレちゃん。記憶消されるけど。
ネコちゃんをナデナデする仕事は、仕事だった。異文化交流にはビジネスチャンスがあるっちゅーことか。
なんにせよもっとしゃんとせねばならなかったか。まぁ夢だったかもしれないし。いい仕事だった。
ミーさんもネコちゃんになったらかわいいのかな。
想像は尽きない。やはりネコちゃんをナデナデする仕事はファンタジーだったーーー。
「…ということで、地球人Aによるネコ姿へのスキンシップには、被験者のストレスホルモンを著しく減少させる効果が認められました。
一方、被験者のヒト姿を見た地球人Bの場合ですと、スキンシップの効果は半減しております。
まだまだサンプルを集める必要がありますが、地球人とのストレス減退サービス協定を正式に結ぶことは困難と思われます。
ストレス減退サービスの主なターゲットは中高年の男性であり、今回の被験者もこの層を起用しています。
また、交渉に当たってはヒト姿を見せる必要があり、交渉役のメインを務めるのもターゲットと同じ層であることからー」
とある惑星、会議場の演台でボブカットの女性が行っている研究発表に、オーディエンスは皆釘付けだった。
会議場にいる人々の頭には揃って、猫のものに酷似した耳が認められる。
会場の隅の方で、額がだいぶ後退した男がため息をついた。
「はぁ、姿を見せる方に当たっちゃって本当にガッカリだよ。気持ちいいのはよかったんだけど、なんていうか、気持ちがこもってないというか。オッサン触ってる感が伝わってくんのよ。
お前はいいよなぁ。移動もワープホール経由で現地に直接でめっちゃ楽だったんだろ?ダボダボの服着せられて知らない星歩くのはなかなかストレスだったぜ。」
隣に座った黒髪のセンター分けの男がニヤニヤして答える。
「日頃の行いの差じゃないかね。こっちは天国だったよ。かわいいかわいいってずっと言ってもらえてよ。こんなこと、もはや記憶がないガキの頃以来じゃないかな?気持ちよすぎて寝ちまったわ。」
「ほんと羨ましいわ…。次の被験者応募するか悩むわー…。」
「どうせまたストレスチェックで引っかって、半ば強制的に応募させられるだろ。仕事キツイの何とかならんかねぇ。
ま、次があるなら、またあのねーちゃんが何も知らない状態でいてくれることを祈るぜ!」
おしまい。